「NPO法人ガンの患者学研究所」という、がん患者の会があります。元NHK ディレクターの方が中心となって、全国のがん患者の方を支援しています。
ここには、進行がんの人も、末期がんを克服した人たちもたくさん集まっています。がんを自然退縮させた方たちが、今度はがんで悩んでいる人たちを励まそうという会です。
私も全身転移するほどの末期がんから回復された何人かの方と知り合いになりました。みなさん三大治療(手術・抗がん剤・放射線)をせずに代替療法などで自己治癒した人ばかりです。
ある人は、働き盛りバリバリの営業マンで、成績を上げようと必死で仕事に取り組んでいました。仕事中心の生活で、性格もイケイケドンドン。感情的にカーッとなることもしばしばありました。
一方で、もうひとりの方は職場の人間関係に悩んでいました。その方が上げた営業成績を、上司が常務たちに報告してくれなかったために、地方に転勤させられるといった不本意なこともあったのです。
しかし、それでも頑張り屋さんは転勤先でも営業成績を上げました。「こんちくしょう」という思いを抱えながらです。そんなときに肺がんがわかったのです。
若い頃、民間療法で椎間板ヘルニアを治していた経験があったので今回も代替療法で治療することを決意します。
この治療の過程で、気持ちの持ち方がとても大事だということを知ります。「絶対に自分は治るんだ」「治してみせるんだ」、そういう強い気持ちががんを克服したのだと言います。
また、それまで「こんちくしょう」ということが多かったのですが、がんになってから「ありがとう」と言葉にすることが増えました。「こんちくしょう」という気持ちがわかなくなり、代わりに「ありがとう」という感謝の気持ちが自然とあふれてきたのだといいます。
生きていること、支えてくれる家族、友達、そして治療法を応援してくれる人たち、さまざまな人や物事に対して感謝の気持ちを伝えるようになり、がんになるまで、まるで感じたことのない気持ちを経験したと言います。がん告知から2ヶ月後、腫瘍マーカーを正常値に戻しました。
右足の親指に悪性黒色腫(皮膚がん) ができた女性も、がんを自然退縮した人の1人です。
医師から悪性黒色腫だと診断されたときは、ショックのあまり、医師の勧めに従って手術をし、足の指を切除するつもりでいました。しかし、その4、5年前にこの方の友人ががんで亡くなつていたことを思い出しました。
「手術をしないと半年しかない命が、手術をすると5年以上延命する」と言われて手術をしたにもかかわらず、結局1年で亡くなっていたのです。
友人は手術後、ずっとベッドの上での生活でした。しかも苦しみ続けて最期を迎えたと聞いたとき、自分は、「自分はがんになっても絶対に手術はしない」と決めて、がん保険の解約もしてしまっていたのでした。そのため、自然治癒療法を決心したのです。
数多くの医療機関を回りますが、自分が希望する治療を施してくれるところはなかなか見つかりませんでしあ。そんな中、やっととある診療所で自分の納得のいく治療法を指導してくれる医師と出会いました。三大治療をせず、玄米菜食や半身浴などで体を温め、治していく自然療法を進めていったのです。
同時に、「がんは自分で作ったものだ」ということを知り、自分がどのようにしてがんを作ってきたのかを考えるようになりました。そして、あるとき気づいたのです。自分がいつでも他人や周囲の人を「ばっかじゃないの」とさげすみ、欲求不満を抱え続けていたことを。それが自分の中でストレスを生み、がんを作っていました。自分の原因に気づき反省し、考え方を改めました。
それまでは目に付いていた他人の欠点が見えず、代わりに良いところばかりが見えるようになってきました。この頃から、がんは自然に退縮し、足の指を切ることなく、元に戻り、完全に治ったのです。
ここには、進行がんの人も、末期がんを克服した人たちもたくさん集まっています。がんを自然退縮させた方たちが、今度はがんで悩んでいる人たちを励まそうという会です。
私も全身転移するほどの末期がんから回復された何人かの方と知り合いになりました。みなさん三大治療(手術・抗がん剤・放射線)をせずに代替療法などで自己治癒した人ばかりです。
ある人は、働き盛りバリバリの営業マンで、成績を上げようと必死で仕事に取り組んでいました。仕事中心の生活で、性格もイケイケドンドン。感情的にカーッとなることもしばしばありました。
一方で、もうひとりの方は職場の人間関係に悩んでいました。その方が上げた営業成績を、上司が常務たちに報告してくれなかったために、地方に転勤させられるといった不本意なこともあったのです。
しかし、それでも頑張り屋さんは転勤先でも営業成績を上げました。「こんちくしょう」という思いを抱えながらです。そんなときに肺がんがわかったのです。
若い頃、民間療法で椎間板ヘルニアを治していた経験があったので今回も代替療法で治療することを決意します。
この治療の過程で、気持ちの持ち方がとても大事だということを知ります。「絶対に自分は治るんだ」「治してみせるんだ」、そういう強い気持ちががんを克服したのだと言います。
また、それまで「こんちくしょう」ということが多かったのですが、がんになってから「ありがとう」と言葉にすることが増えました。「こんちくしょう」という気持ちがわかなくなり、代わりに「ありがとう」という感謝の気持ちが自然とあふれてきたのだといいます。
生きていること、支えてくれる家族、友達、そして治療法を応援してくれる人たち、さまざまな人や物事に対して感謝の気持ちを伝えるようになり、がんになるまで、まるで感じたことのない気持ちを経験したと言います。がん告知から2ヶ月後、腫瘍マーカーを正常値に戻しました。
右足の親指に悪性黒色腫(皮膚がん) ができた女性も、がんを自然退縮した人の1人です。
医師から悪性黒色腫だと診断されたときは、ショックのあまり、医師の勧めに従って手術をし、足の指を切除するつもりでいました。しかし、その4、5年前にこの方の友人ががんで亡くなつていたことを思い出しました。
「手術をしないと半年しかない命が、手術をすると5年以上延命する」と言われて手術をしたにもかかわらず、結局1年で亡くなっていたのです。
友人は手術後、ずっとベッドの上での生活でした。しかも苦しみ続けて最期を迎えたと聞いたとき、自分は、「自分はがんになっても絶対に手術はしない」と決めて、がん保険の解約もしてしまっていたのでした。そのため、自然治癒療法を決心したのです。
数多くの医療機関を回りますが、自分が希望する治療を施してくれるところはなかなか見つかりませんでしあ。そんな中、やっととある診療所で自分の納得のいく治療法を指導してくれる医師と出会いました。三大治療をせず、玄米菜食や半身浴などで体を温め、治していく自然療法を進めていったのです。
同時に、「がんは自分で作ったものだ」ということを知り、自分がどのようにしてがんを作ってきたのかを考えるようになりました。そして、あるとき気づいたのです。自分がいつでも他人や周囲の人を「ばっかじゃないの」とさげすみ、欲求不満を抱え続けていたことを。それが自分の中でストレスを生み、がんを作っていました。自分の原因に気づき反省し、考え方を改めました。
それまでは目に付いていた他人の欠点が見えず、代わりに良いところばかりが見えるようになってきました。この頃から、がんは自然に退縮し、足の指を切ることなく、元に戻り、完全に治ったのです。